リチャード・フロリダ,クリエイティブ・クラスの世紀,ダイヤモンド社,2007.

クリエイティブ・クラスの世紀は、偶然手に入れて、読むことにした本。創造性に興味があるのでこの本のことは知っていたけれど、政治経済系だったので興味とちょっと違うかな、と読んでみていなかった。読後の感想としては、2-3興味深いことを言っていて、読む価値はある(技術、才能、寛容性の3つのTが必要であるというメインの主張はそれほど強く伝わってこなかったが)。クリエイティビティには流動性が必要だという点などは、今の国際社会では、多様性が必要だとする論と本質的に同じことを主張しており興味深い。自分の殻に閉じこもっているヒト(国民)は、クリエイティブな活動ができないんだということになるだろうか。ただ、日本語訳で読んだのだけれど変更や加筆はされていなかったようで、アメリカ中心の内容であったので(クリエイティブの人材がアメリカから逃げているとか、引きつけるにはどうしたらいいのかとか、アメリカ政府はどうするべきかとか、アメリカ政府はなっとらんとか)、最後まで読む前に少々辟易してしまった。政治に興味のある人であれば、面白いかもしれない。

興味深いと思った点

  1. 30年代の戦時ばかりでなく、80年90年代に米国は、クリエイティブな人材を集めてきた。彼らを生かすことができたからこそ米国は繁栄した。
  1. 自律して働ける人を指してクリエイティブという言葉をつかっているようだ。単に知識社会にいそうな知識偏重の人ではなくて、自分で考えて行動ができる人、新しい価値を作り出せる人。だからこそ、芸術の世界ばかりでなくて、工場の技術労働者などもクリエイティブになりうる。(これは、非常に興味深い視点だとおもう。)
  1. 今後、クリエイティブな人材は、個人の自己充足を求めて、世界中を移り住む。著者いわく、アメリカに住むかというよりは、NYか東京か、コペンハーゲンかという選択になっていくという。国はどこでもいいのだ。

もし古いドリームが家族を養える仕事を持ち、彼らを守れる安全な場所に良い家を持つことだったとしたら、新しいドリームは、自分が好きな仕事で、働くことを楽しめ、自分自身でいられるコミュニティに住むことだ。

  1. アメリカに頭脳が集まるのではなくて、クリエイティブ経済は、もっと流動的になる。

母国でハイテク企業を立ち上げる帰国移民は、現代的な経営手法や文化的習慣をも母国に持ち帰る。アメリカでもどこでもそうだが、これによって社会や経済の既存の利害と摩擦を引き起こす。しかし、経済発展も人心の変化も摩擦なしでは生まれない。「頭脳流出」ではなく「頭脳循環」へと移行しつつある。p137.