森巣博, 無境界家族 (集英社文庫),

無境界家族 (集英社文庫)は,お気に入りの雑誌クーリエに連載されている森巣氏のエッセイに関心を持ち,紹介されていた著作を呼んでみようと思ったところから,手に取ったもの.

『日本文化論』などで自分がもやもやと従来考えてきたことを,明確に,すぱっとブッタギってくれています。

特に印象を受けた箇所

p82 まだまだ「産業廃棄物」にはなっていないかもしれないが,そうなるのはもうすぐなのであろう...私に可能な唯一の対象法とは,必然をできるだけ遅らせること.「存在しなかった古き良き時代the god old days that never were」への回帰をけして志向せず,自らの思考能力の限界を認知しつつも,いつまでも自力で考え続けること.

p114 Last but not least, I thank my father Hiroshi for just being there.

p184. 国際化とは日本のイメージで世界を描き換える試みだったので,政官財民ほとんどスベタの国民的支持が得られた.ところが,グローバリゼーションとは,世界の(多くの場合アメリカ合衆国の)ルールを日本に適応させるこころみなので,それに対する強い反撥がある.... 国際かの名の下に,国民の税金を浪費して日本から送り出された「生け花」「お茶」「歌舞伎」..の無数の人々の群れとは,結局そういうことだったのか.自民党と霞ヶ関が利権という合意でつるんで,国際交流基金を通して撃った膨大な無駄金が国際化だったのである.

p203.「日々,人々が物理的にふれあうようなきわめて小さい集団を除外すれば(あるいは含めてもいいかもしれないが),全ての共同体は「創造imaginary」である」とするベネディクトアンダーソンの思想...

p206. ...すべて「海外」生活体験者である、という一点だ.そしてこの場合の「海外」とは,必ず「西欧」である.また,その「西欧」での学習・体験の「箔付け」が彼(女)らをしてでかい面をさせている一つの大きな因子ともなっている....実は「われわれ日本人」という強烈な思い込みを持つ人たちが,何らかの事情によって「ガイジン」恐怖症に悩んだ海外生活体験者たちであるのは,「知」の世界では良く知られている.「防犯チェーン」をかけたまま開いたドアの,その全くわずかな隙間から「ガイコク」を観察し考察しなっとくし憎悪した,という体験を有する者たちだ.... こういう連中が自己救済のみをもとめて...「日本人論」「日本文化論」「日本文明論」を説く.

ちかいうちにピート・ハミルを読んでみようと思う.