影山知明. ゆっくり、いそげ-カフェから始める人を手段化しない経済. 大和書房. 2015.

知り合いになんかいい本ないですか?と尋ねた時に勧められたこの本、ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~。よかった。とりあえず、たくさんの人に読んでほしい。

「言ってることは綺麗事」というのは簡単だけれども、実際に数年の実践の蓄積があり、それなりの結果が出てきているところに説得力がある。特に、賛同するいくつかの視点を列挙してみたい。実は、いくつかの視点は、自分がやっている組織でやってみていて、でも、うまく説明できなくてモヤモヤしていた。それらをうまく言語化してくれていて、単純に嬉しい。

  •  現在の資本主義の良い点を理解しつつ、新しい視点からの経済の仕組みが必要なのではないかというところに、賛同する。影山さんがいうように、現在の経済の仕組みは、多くの人が良いと思っていることを実行できる枠組みになっていない。仕組みを変えることが必要である。
  • 多くの金融取引はテイクを動機とするが、ある人にとっては金銭以上に価値を持ちうる意味のある金融商品でギブを動機とするもの(例えば、酒蔵応援ファンド、被災地応援ファンド、など)がある。それは、「仕組み」の勝利であり、仕組みにより経済の流れは変えられる。
  • 会社にとっても共に働くメンバはギブする対象である、という視点。通り道である自分たちの組織でその人の人生の舞台に会社が何を貢献できるか。そして、その人の能力を持って会社が何を達成できるか。
  • 昔の日本の村社会は持続するコミュニティがあったと言われるが、それは「不自由な共生」であり「関わらない自由」がなかった。今の時代の「自由な孤立」が快適で良いという人もいるが人は社会的な生き物だ、このままでは崩壊するんじゃないだろうか。今後、関わり合いの中で、ダイアローグを通して、「自由に自分の意見を言い行動」できる共生が望ましいのではないか。

時々読み返して、改めて自分の毎日の良い方向に進んでいくための積み重ねの指針にしたいと思う。

特に気になったところを抜粋する。

ただ僕には、この過程でどうしても、目的と手段とが入れ替わってしまっているに思えてならない。...僕には逆に思える。守り、育てるべきは、僕らの暮らしであり幸福感。そして経済は本来、そのためにあるのではないかと。...p25

もちろん行き過ぎは問題だとしても、これはこれで人類の偉大な発明の一つだと思うのだ。健全な競争があるから、いい緊張感の中で工夫や改善が積み重ねられ、価値が磨かれていく。p.36

「消費者的な人格」を刺激したくない...できるだけ少ないコストで、できるだけ多くのものを手に入れようとする」人格。つまりは「お得な買い物」を求める人間の性向だ。p47

社会の全てが、こうした「交換・取引」で埋め尽くされなくてもいい。p49

人はいい「贈り物」を受け取った時、「あぁ、いいものを受け取っちゃったな。もらったもの以上のもので、なんとかお返ししたいな」と考える人格をも秘めている...これは、前に述べた「消費者的な人格」とは真逆の働きをする。自分が手に入れるものより、支払うものの方が大きくなるわけだからだ。これを「受贈者(贈り物を受け取った人)的な人格」p54

お店に返ってこなかったとしても、その「受け取った」ことによる「健全な負債感」は、その人をして帰り道に路上のゴミをも拾わせるかもしれないし、電車でおばあさんに席をゆずる気持ちにさせるかもしれない。p55

そこで気づいたのだ。「ああ、毎回毎回”清算”されてしまっているのだ」p61

GDPの大きさだけでは、社会の豊かさは測れないのではないかと。でも、今の資本主義というシステムは多元的な価値を扱うことが苦手だ。...それぞれに「大事だ」という人がいる一方で「別に大事じゃない」という人もいるような価値だ。これらを大事にしていくのは、社会全体の総意だというには少し無理がある。p91

クルミドコーヒーのようなお店が、ないよりもあった方がいいと思ってくださる方。そうした方からの「贈る」「応援する」気持ちのこもったお金を受け取り、お店を作る。「ありがたい」という健全な負債感をエネルギー源としてお店を経営する...

金融というとどうしても堅く、近づきがたいイメージを持たれてしまいがちだが、実はそれも使い方、思いの乗せ方次第で、人と人の関係を育む道具にすらなりうる。見えにくい「大きなシステム」の中にお金を投じるのではなく、日々の生活に近い身近な循環の中でそれを生かすことができれば、それは豊かさや安心感となってあなたのところに返ってくることだろう。p95

例えば、山田太郎さんという人がいるとする。山田さんはクルミドコーヒーで働くことに興味を持ってくれている。でもそうであったとしても、山田さんの人生は別にクルミドコーヒーのためにあるわけじゃない。山田太郎という人生が先にあって、お店はその道のりでたまたま立ち寄った一つの機会。人生という脈々と続く表現の一つの舞台に過ぎない。p.144

会社も「ボランティア組織」じゃないか。

自発性:会社やお店の発展・成長を自分ごとと捉え、自ら課題を見つけ、率先して挑戦する。働いているのは「誰かに言われたから」ではない。

公共性:そこでの働きは自分ではない誰か(他者)に向かっており、その人を喜ばせることが自分の喜びでもある。

無償性;給料や時給は働く上での極めて重要な要素であるし、多くの場合それが職を求めるきっかけでもあるが、かといってお金のために働くわけでもなく(動機の無償性)、むしろそれは自分仕事や貢献に対して周囲がもたらしてくれる対価と考える。

世の働き方の選択肢は、ともすると「お金にはなるけれど、やりたいことではない」と、「やりたいことだけれど、お金にはならない」の究極の二択に見えてしまいがちだ。でも、働き方にも、それらの間の選択肢があってもいい。p162

「管理」は、物を大量に安価に作る上で、大変成功したシステムであったことを認めつつ、今や「人も企業も国家も、もはや自己の利益を追求する(そのために他者を管理・統制しようとする)だけで、最大の利益を上げることはできない」時代に入ったと指摘する。p169

ただこうした前向きな関わり合いを実現するにはやはりコツがある。それが支援の話法。「話すより聞くこと」「違いを楽しむこと」p197

デンマークでも対話が重視されている。多様性を受け入れ多数決合意はしない。違う意見があることを知ることが第一歩であるという考えなんだろう。

「利益」とは何だろうか。..技術というものは、失うのは一瞬だが、一度失ってしまうとそれを取り戻すのは至難の業。そいう意味で、活版印刷や手製本と言った技術がちゃんと残り次世代へと伝承されていくことは、僕らクルミド出版チームにとって「大事なこと」であり、利益なのだ。p230

→だからこそ「高くても必要なものに投資する」「安いからという理由だけで買わない」という決断が必要だ。

目的や目標を絶対視し過ぎないことだ。「いつまでにこれをやる」「こういう自分になる」が強く意識されると、「今」という時が常にマイナス状態となってしまう。常に自分が「目的地にたどり着いてない自分」「目標を達成していない自分」と認識されてしまうのだ。京都龍安寺にあるつくばいで有名な「我ただ足るを知る」は、深いメッセージだ。常に足りていると自覚し、あるものに感謝し、不足を嘆かない。p239

デンマークでは、目標ではなくマイルストーンと呼ぶ。達成したら喜ぶべき所。でも、そこに達してないのは、まだ途中にいるからに過ぎない。