Madame, 2017

見終わった後に残る後味がなんとも言えず悪く、数週間経つのにアマタの片隅に、不燃焼感が残って仕方ない。

アナとボブというアメリカ人でパリの豪奢なアパルトマンに住む富豪カップルが、エクスクルーシブな人たちを集めた自宅でのディナーパーティを企画する。ただ、参加者が十三人というなんとも縁起のよくない数になっていたことに気が付いたアナは、メイドのマリアにスペインの富豪に扮して参加することを強要する。ディナーの席で、マリアは隣に座るデービットという美術品ディーラーの上流階級英国紳士の興味を引き、自分の身分を隠したまま付き合うことになるのだが...。

 

 ディナーの席での出会いでやめておけばよかったのに、自分に関心を持ってくれた人がいたことが嬉しくて?パーティの後も会い続けてしまったりと、ちょっと道を踏み外してしまったマリア。ただ、仮に女主人が無理な要求をしなければ、自分の「メイド」という領分を超えることなく、少し堅物だけれども、優秀で信頼の置けるメイドとして、この先も長い間この夫婦のメイドとして重宝されたに違いないのだ。

自分のキャパ以上のひのき舞台に周囲の人(女主人)の力で立たせてもらったことを忘れてしまったかわいそうな女性の悲劇が苦しく、どこがコメディ恋愛ドラマダ?とPRの仕方に納得がいかない。

私には、コメディドラマでもなく、恋愛ドラマでもない。ソーシャル・クラスによる分断の物語に思えた。

「メイドごときが、人のネットワークを勝手に使い、間違えて持ち上げられただけなのに、さも自分が魅力あるかのように勘違いをするなんて甚だしい。」そんな風に思ってるんだろう女主人は、悪人として描かれているけれども、社会規範に従わない(知らないから)マリアに対するイライラ感は非常によく描けていた。全編に渡って流れるのは、グロテスクな現代の身分社会と、透明だけれども確かに今でも存在する支配者と従僕クラスの世界の分断だ。