藤原辰史.[決定版]ナチスのキッチン, 食べることの環境史.株式会社共和国.2016.

今の時代は幸せだなと感じることは、普通に日常生活を過ごしていると少ない。暴力事件や発砲事件、終わりの見えないウクライナ侵攻や、延々と続くように見えるパレスチナ問題。世界には、毎日悲しくなる事件が満載だ。でも、視点を少し広げて歴史を概観してみると「今の時代に生きていてよかった」と思うことが多々ある。ナチスのキッチンを読んでその気持ちを強くした。

ナチスの時代は、料理が芸術や楽しみではなく、苦労であるという時代だったから。楽しみのためではなく、国の威信をかけた戦いに勝利するための栄養源としての「食」のための料理だった。

ナチス時代の食にまつわる数々の事例からは、食という切り口であるにもかかわらず戦争や外国人差別女性嫌悪、権力と狂気など、さまざまなトピックが紐解かれる。そして、そこからは、なぜ、ドイツと日本が第二次世界大戦で協力できていたのかが透けて見えてくる気がする。為政者の姿勢の根本に、食にまで口を挟んでくるその社会主義政権に、その理由を見ることもできる。何せ「食」において説いていることは節約やテクノロジーの活用であり、食のベースに据えているのは、男性を第一、女性を第二の性とする家庭のあり方だからだ。
多くの企業や個人が、ナチスの考えを忖度し、より清潔かつ倹約質素な家族生活を、そして食生活推進する手助けをする。全体思想となり、異なる考えを持つ人々を圧迫していく。食事という、今、私を含めた多くの人にとって、栄養確保の手段ではありつつ、楽しみの一つに数えられるものが、国家運営のツールとして使われていることに恐怖を感じる。
そして、その国家運営の一端を今の日本の社会に垣間見ることができる気がして背筋が凍る。ナチス政権下と同じような方法や言質を母国の前政権が主張していたこと、そしてそれが社会で受容されていたことが恐ろしい。

日本とナチスの共通点

日本の公団のダイニングキッチンは、もともとは1920年代ドイツの合理的キッチンがモデルであり、今のマンションや戸建てに標準装備されているシステムキッチンと言う商品も、その原理をたどっていくと、まさに20世紀前半のドイツにたどり着くのである。
ヒトラーの家族イデオロギーが反映している。、家族を健全に保持することが国家を健全化する、と言う考えである。そのためには主婦が壁によって家族から切り離されてはならない。

そして、女性蔑視

興味深いのは、この後に登場してくる家事マニュアルと比べると、母親が娘に諭すような情緒的な表現が多いこと、また精神的な心構えなどに多くのページがさかれていることである。…質素、節約、篤信から早寝早起きまでこれらの詩で未来の妻や母に伝えられようとしているのは、広く民衆の行動を規定してきた通俗道徳である。…しかもそれは能動的な道徳である。幸福を待っていてもやってこない。自らの行動によって掴み取らなくてはならぬ。(p.138)
どちらの運動も女性の自立をうながす精神的な面が強調されすぎていた。そして、精神主義には終わりがなく女性をカオスに落ちおとしいれるだけであったと憤っている。
これまでの執筆家や思想家や運動家が徹底的な禁欲的努力主義を主婦に注入し、主婦の仕事を増やしていった。女性蔑視や主婦の機械化・ロボット化ともいえるような方針は、悍ましさしか感じないキッチンに立つ「主婦の足跡測定」などに見ることができる。
ナチスは女性のことを第二の性と呼び、家庭を護り、第一の性である男性に奉仕するべき存在とみなしていた。なぜこのようなナチスのむき出しの女性蔑視あるいは男性中心主義にもかかわらず、主婦は戦争に動員されたのか。(p.306)
これまでの章で、私は、台所を、自然、技術、道具、知が集積する1つの空間として論じてきた。植物と動物が流通を経て家庭に運ばれると、1水で加工される生態学的な過程で、台所の技術と道具は企業によってテクノロジー化され、台所の違う家政学と栄養学よって化学化がされる。台所の建築家たちは、こうした科学に基づき、台所と言う空間を人間が効率的に働くことができる小工場に設計した。(p.307)
ウーテ・フレーフェルトは、1997年の論考で、料理や育児の場は、決してプライベートの空間でも閉ざされた空間でもなく、国家の要請と直接結びついた社会参加の場であり、プロフェッショナル化と脱プライベート化が進んだ場、つまり「近代化」が押し進められた場であると主張している。(p.308)
愛は食事によって表現できる。そのために、食事は丹精込めて、自分の理解を持った上で、調理せよ。
前条までの好戦的な文句とは打って変わって、突然、ロマンティックな響きを持つ条項が現れる。この「愛」とは何か。ここで思い出されるのは、第二章で引用したエルナ・ホルンの「美味しい料理によって主婦は夫の愛を獲得する」という一節、あるいは第4章で引用したマリー・ハーンの表現、「夫の心への道は、胃袋を通っている…愛だけでは配偶者の幸福の持続を保証することはできません」であろう。これらの言葉と同様に、第8条も、基本的に、家族愛の醸成の核に料理を据えている。(p.339)
しかしながら、この悲惨さは決して囚人のだけのものではない。兵士として、あるいは銃後の戦士として戦う「優等人種」の台所にはすでにヴァイマール時代から様々な健康レシピを通じて、栄養学はゆっくりと浸透していた。ナチ時代に「国のために健康であるべき」と言う公共的性格が加えられることで、主婦はいよいよ兵士の健康管理の末端を担うようになっていく。ナチスにとって全く逆の価値を持つはずの「ドイツ国民」と「囚人」は、しかし、結局は色を自分で選ぶと言う自由を、部分的にせよ完全であるにせよ、権力に委ねた点では同等である。食はその人の「生き方」を如実に表す。他人に支持されてしか生き方を選べなかったナチたちの悲惨さがナチスの食生活(ダイエット)から浮かび上がってくるのである。(p.366)
そして、ナチスがやっていること、主婦たちを戦争を担う機械へと育てるという戦略は、日本がやってきたことと同じだ。
ナチスは主婦たちを戦争を担う機械へと育てていった(p.369)
主婦たちを、考えさせず、感じさせず、考えを強要し、型にはめ、空間に埋め込む。その後行動の方は、自動的に公共空間、そして戦争を止めず結びつけられており、その空間に存在する人間は、ほぼ自動的に社会参加、もしくは戦争さんと端猿を得ない。ナチスの担い手と言うにはあまりにも政治に無関心で、犠牲者と言う以上にしっかりナチスを支持していた、と言う第3帝国を生きた主婦の奇妙な状況は、このような近代戦の環境を台所に導入したからではないか。(p.371)