ヒットラーのカナリヤ、サンディー・トクスヴィグ (著), 小野原千鶴 (翻訳) , 2008

ヒットラーのカナリヤ (Y.A.Books)は、第二次世界大戦時のデンマークの物語。めずらしく日本語で出版されているということで、気になって読んでみました。

デンマークは、第二次世界大戦時の1940年、ナチスに占領されます。ノルウェーやその他欧州諸国とことなり大きな反乱もなく降伏したため、イギリスなどから、ヒットラーのカナリヤという蔑称で呼ばれることになり、それが本の題名になっています。そんな少々頼りない、また要領の良いデンマークなのですが、レジスタンス活動も水面下で進められていました。そのレジスタンスは、デンマーク在住のユダヤ人を中立国スウェーデンに送り込む今で言う人道援助を行い、世界中でもまれに見る98%のユダヤデンマーク人が無事戦後を迎えることができたといいます。本書は、ノンフィクションではありますが、そんな歴史的事実に基づき描かれた物語です。

特に、帯にも書かれていた言葉は、心につきささります。

すべてのドイツ人が悪人で、すべてのデンマーク人が善人だったわけではない、ということです。善人もいれば、悪人もいた。その違いを見極めるのはやさしいことではなかったのです。

そのほかの読みどころ

主人公の周りにいる演劇関係者の姿は非常に興味深く描かれています。主人公の母で有名な舞台女優の行為、せりふなどが、緊迫感あふれているであろう状況に、架空の物語のような雰囲気と彩りを添えています。

ママは芝居に生きる人だったから。人生でおこることすべてに、適切な役と衣装がある、というのがママの考えだった。つまり、すべてはLivs Kunst人生という舞台の一部なのだ。(p19)

また、日本と戦時中の様子が全く異なっていたことにも、別の意味で驚かされざるを得ません。「大変だった」ことの例として出てくるのが、「土曜日のパーティに行くときに、ガソリンがないので自転車で出かけた」とか、「私は何もしていないのに、唯一の楽しみを取り上げられたのよ。コーヒーなしじゃ生きていけないの」というママのせりふなど。蛍の墓や姫百合の塔などと、いかに違う世界なことか。

戦争とナチスをテーマにした一連の作品

最近、ドイツ帝国ナチス関連の映画や本が、相次いで封切られ、出版されているようです。しかも、今までの常套であった、ナチス=悪者、という単純な公式に当てはまらないものが目立ちます。たとえば、私が今までに紹介した総統の子ら、それと同様のテーマを扱った映画Napola: Elite fur den fuhrerブラック・ブックGoodなどに見られるように、ナチス側に属していると見られる人たちでも、戦争のために人生の歯車を狂わせてしまったその苦しみが描かれるようになってきています。まさに、ヒットラーのカナリヤ (Y.A.Books)で描かれている世界そのもの。二項対立ではない「戦争」を理解するためにも、ぜひ、一読してもらいたい本です。