原丈人,金児昭, 誰かを犠牲にする経済はもういらない, ウェッジ, 2010.

だれかを犠牲にする経済は、もういらないは、尊敬する原丈人氏の最新刊ということで、入手しました。

今までの書籍では描かれなかった、なぜ、デンマークのような「社会民主主義」ではなく、「共産主義」でなく、公益の「資本主義」なのかということを示すとともに(3章)、長年の主張も健在です。原丈人氏の主張は、だれかを犠牲にする経済は、もういらないの帯に引用された言葉に尽きます。

これからは「マネーゲーム」ではなく、時間をかけて価値を作り出す「実業」を経済の中心に据えなければいけません。「実業」が生み出す価値の対価として人々が利益を獲得し、その利益が社会の公益のためにうまく還元される新しい資本主義を設計、実践することが必要です。

なぜこの本を薦めるか

アメリカが世界の主導権を握り始める、日本のお手本となるのは、第二次世界大戦後に過ぎず、その前は欧州がその地位を占めてました。第二次世界大戦後は、アメリカの文化や学問が、いかにも万能であるかのように日本に輸入されていたし、経済分野でも世界をけん引していました。その結果、アメリカ発の考えが主流となり、今までの家族制度や企業形態が否定されたり、社会に役立つ人になるといったような考えが否定されたり、金融至上主義がもてはやされたりし、そんなこんなしているうちに原氏が言うように本当にそれでよいのか、と思い始めた人は日本にも沢山いると思うのです。ただ、何がいけないのか、又、どうしたらいいのか困惑している人も多いように思います。自分の考えがまるっきり間違っているような感覚にさせられるのが今の世界のような気がします。そのような少し疑問を持ち始めた人に、処方薬として読んでもらいたい本です。原氏が主張するように「カネがカネを生む経済、金儲けのための経済ではなく、「実業の対価としての報酬」が経済として成立するのがあるべき姿であると信じるのであれば、原氏の示す誰かを犠牲にしない経済を一緒に模索していく時期が来ていると思うからです。

今でも、アメリカ寄りの考えに基づき発令される経済政策は日本では多いのですが、誤った経済観念に基づき進められているものである限り、誤った方向にしか誘導しないのです。

原丈人氏は、公益資本主義を主張し、そのモデルを実践で示しています。また、経済合理性の観点からも妥当であることを示そうとしています。さらに、日本がどのようにその道に進めばいいのかという税制改革案など具体的な道筋も示しています。単なる理論や理想論に終始せず、実践を伴った観点から主張している原氏の考えを是非多くの人に一読してもらいたいと思います。

原丈人氏の主張

公益資本主義について

会社が、利益をあげるのは当然です。そのために経営の効率をよくして、給料を上げていくのは、経営者として当たり前のことです。しかし、そこであげた利益をすべて株主に貢ぐようなことはおかしい。会社がお金を設けて、その利益を使って何らかの形で社会に貢献するということが、経営陣と従業員の目的としてしっかり共有されており、実際に実行している会社が社会で報われる、そういう資本主義をつくるべきだと考えています。p.26

公益資本主義に基づいた途上国支援では、今はやりのBOPや排出権取引の危険性も示唆しています。なんだか(先進国の利益主導の援助や環境政策であり)きな臭い考えだと考えていた私の印象を裏付けるものでした。

本質的に援助という概念は、ほんとうの意味では支援にはつながりません。貧しい人に、お金やものを与え続けても自立できないのと同じです。難民支援などの衣食住に関する基本的な援助を除けば、ODAや慈善活動は、途上国を助ける本質的なメカニズムとはなりえません。また、私は数多くの援助の実態を見てきましたが、途上国には腐敗政権がとても多いというのが実態です。p35

私たちはもう一度、人々が幸せになるために生まれた資本主義の原点に立ち返り、会社とはなにか、人間にとって、社会にとっての幸せとはないかを改めて問い直す必要があります。サブプライムのように「カネがカネを生む」ビジネスが賞賛され、金儲けにひた走り、一握りの人間だけが巨額の富を得て、人が人を信じられなくなるような社会にしてはいけません。p.182