シェリル・サンドバーグ,リーン・イン, 日本経済新聞出版社,2013.

LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲は,好きな雑誌であるCOURRiER Japon (クーリエ ジャポン) で,過去数ヶ月にわたって関連記事が掲載されていたことから知った書籍.COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) の記事では,この書籍により,全米で母である女性の「働く」と「子育て」に関して議論が巻き起こっていることが,数ヶ月にわたって報告されている.一連の記事からは,筆者であるフェイスブックCOOのシェリル・サンドバーグは,女性から袋だたきにあっているようなイメージを受けたし,多くの女性が(おそらくきちんと書籍を読まずに)シェリル・サンドバーグの主張に対して反感を買ったように,私も,頭脳明晰でよい仕事があり,また裕福であるシェリル・サンドバーグ氏が執筆したものとして書籍の印象もそれほど良くなかったので,日本語版の発売を知っていたけれど読んでみようと思っていなかった.帯に「FacebookのCOOが書いた全米ベストセラーの話題作」と書かれていて,なんだかぼやかして書いているなー、と思っただけだった。

でも,実際に読んでみて,イメージが覆されたのです.仕事と子供の選択で悩んでいる人。将来の結婚や子供を考えて、新しい仕事に取りかかるのに躊躇している人(!!)、シェリル・サンドバーグを知らないのに,なんだか反感を持っている人に読んでみてほしい。

どのあたりがお薦めか?

1.シェリル・サンドバーグにエンパシーを感じられる。シェリル・サンドバーグは,全てにおいて順風満帆に進んできたわけではないし,それぞれの段階で多くの失敗をして,現在の立場を築いている.全米で議論になったという仕事か家庭かという二項対立を助長する主張をしているわけでもなければ,今まで社会的に成功した女性にありがちであった女性により厳しい女性というわけでもなさそうだ.

2. 今後、一歩前向きに物事に対処できそう。とりわけ私がシェリル・サンドバーグに好感を持ったのは,男性のように振る舞うのではなく,女性として振る舞う必要があるという指摘に対して(これを言うのってかなり勇気がいる)。理論の根拠に研究結果などを示しているのだが、女性が相手だとわかると、男性も女性も(!!)判断基準が変わるんだそうだ。これは、感覚的に理解していたが,科学的にも実証されていることを示している。判断基準が変わるのだから、女性が男性と同じように対処しようとしても,評価は下がるだけ。

女性は2つのことを上手に組み合わせれば,望みの結果を得る可能性をたかめられるという。一つ目は,相手に好印象を与えること、他人に気遣いを示すこと「世間の期待にふさわしく」女性らしく振る舞うことだ。ビジネスライクで直截な物言い(たとえば「私はこれこれの条件をもとめます、自分がそれに値すると確信しています」など)には、拒絶反応を示される可能性がある。(pp. 67)

3. 社会として目指す点が少し明らかになっている。家を重視するという立場を否定している訳ではないし,同時に,本書の主張の一つでもある「社会的に成功して影響力を持つ」ということは,現在の停滞した女性の社会進出に確かに有意義のように思われる。デンマークが変わったのだって、女性が社会的に重要な地位につき始めたからだ。

デンマークやその他の北欧諸国との比較で米国および日本の女性進出を見てみると非常に興味深い。シェリル・サンドバーグが主張している「女性が社会的に成功して影響力を持つ」ことで社会が変わる、が既に70%程達成されている社会が、北欧だと思うから。周りを見てみると、法律や人々の認識が女性にも優しく、より平等に変わっているのは、女性が声を上げて、社会的に成功した女性が増えてきているからなんだろうと思える。ただ、2点不可解なことがある。
1.デンマークの男女の収入の差は,いまだに縮まらないし、企業トップは相変わらず男性優位。
2. 男性のような女性が多い。つまりシェリル・サンドバーグが言う、女性として振る舞ってうまく社会的立場を得た女性は、社会的に見て、それほど多いようには思えない...。

これも、今後変わっていくのだろうか?

森巣博,越境者的ニッポン, 講談社現代新書,2009.

越境者的ニッポン (講談社現代新書)は,森巣氏の社会の見方,日本批判に関心があったことから,読んでみたもの.2009年に出版されたものだが,自分自身でもおかしい...?と思っていた点などを,その理由を含め明確に述べています.

教育とはどうあるべきか.また,現在の日本のメディアのふがいなさについて.メディアは,正義のメディアの名をかたった集団リンチを行っている....本当に,日本のメディアが第三の権力になるのは、いつのことなんだろう.

ある年齢をすぎると,絶対的知識量が不足している子どもたちは,全体主義者となる。他の子どもがやることをやりたがり,....放っておけば全体主義社となってしまう子どもたちを,言葉は悪いかもしれないが,社会を社会足らしめたる論理で少しずつ「矯正」していくのが,教育の重大な役割の一つではなかろうか,と私は考える.ところが異質な者,異物たちを排除することによって,「純な社会」の構築を目指す人たちも,また存在する.ごくごく簡単で大胆な私の分類法を用いれば,前者が多元主義と呼ばれる立場で,後者が原理主義と呼ばれる立場である....多元主義の立場では,足が二本未満の人の存在を受け入れる.ただしこれは「寛容」するのではなくて「認知」する...だれだって他人から自分のことを「寛容」なんかされたくない.(p61)

学校教育の目的のひとつは,明らかに生徒に"Self Esteem"を持たせることだ, ...(p62)

世間を怖がってはいけませんよ.常識って,多数者が持つ偏見のことです.自分の信念に忠実でありなさい.そして一度始めたら,簡単に引き下がっちゃいけませんよ.そう教えるのが教育であり,身をもってそれを示すのが,理想の教師像だと私なら考える...(p74)


ティナ・シーリグ,20歳のときに知っておきたかったこと,阪急コミュニケーションズ,2010年

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義は,だいぶ前に切り抜いた新聞 記事をもとに読んでみることにしたもの.もう,20歳はだいぶ前にすぎてしまったけれど,何か得るものがあるかと考えて読んでみることにした.

得るところはあったが,正直,あまりピンとこなかった.ピンとこなかった理由として,聞いたことのある逸話が多かったこと,自分で既に感じていたこと(常識にさからう,ルールを破る,機が熟することなどない,失敗せよ)がほとんどであったことが多かったからだろう.この書籍を大学に入学する前に読むのは,おすすめだ.

自分なりの「異質な方法」を取る,これは心にとどめておこう.

印象に残った箇所

...人間は二つのタイプに分かれることがわかってきました.自分のやりたいことを誰かに許可されるのを待っている人たちと,自分自身で許可する人たちです.(p72)

この本の物語で伝えたかったのは,快適な場所から離れ,失敗することをいとわず,不可能なことなどないと呑んでかかり,輝くためにあらゆるチャンスを活かすようにすれば,限りない可能性が広がるということでした.(p214)

成長している間は,成長を維持するために,昨日と同じことをよりよくすることに注力すれば良かった.だから学校教育もそれに対応するようにできていて,私たちは小学校の頃から解答が一つしかない問題を何千何万と解いてきました.誤解の内容に付け加えると,この方法が悪い訳ではありません.問題が明確で,正確で連続的な作業が要求される場ではきわめて有効で,これはどんな時代でも必要な能力です.
ただ,成長が停滞している.あるいは衰退している時に,昨日と同じことをしていたらどうなるでしょうか?そのまま停滞,衰退しつづけるだけです.そこを打破するには,学校で教えてもらった能力の上にさらに新しい能力を身につける必要が出てきます.(p228)

森巣博, 無境界家族 (集英社文庫),

無境界家族 (集英社文庫)は,お気に入りの雑誌クーリエに連載されている森巣氏のエッセイに関心を持ち,紹介されていた著作を呼んでみようと思ったところから,手に取ったもの.

『日本文化論』などで自分がもやもやと従来考えてきたことを,明確に,すぱっとブッタギってくれています。

特に印象を受けた箇所

p82 まだまだ「産業廃棄物」にはなっていないかもしれないが,そうなるのはもうすぐなのであろう...私に可能な唯一の対象法とは,必然をできるだけ遅らせること.「存在しなかった古き良き時代the god old days that never were」への回帰をけして志向せず,自らの思考能力の限界を認知しつつも,いつまでも自力で考え続けること.

p114 Last but not least, I thank my father Hiroshi for just being there.

p184. 国際化とは日本のイメージで世界を描き換える試みだったので,政官財民ほとんどスベタの国民的支持が得られた.ところが,グローバリゼーションとは,世界の(多くの場合アメリカ合衆国の)ルールを日本に適応させるこころみなので,それに対する強い反撥がある.... 国際かの名の下に,国民の税金を浪費して日本から送り出された「生け花」「お茶」「歌舞伎」..の無数の人々の群れとは,結局そういうことだったのか.自民党と霞ヶ関が利権という合意でつるんで,国際交流基金を通して撃った膨大な無駄金が国際化だったのである.

p203.「日々,人々が物理的にふれあうようなきわめて小さい集団を除外すれば(あるいは含めてもいいかもしれないが),全ての共同体は「創造imaginary」である」とするベネディクトアンダーソンの思想...

p206. ...すべて「海外」生活体験者である、という一点だ.そしてこの場合の「海外」とは,必ず「西欧」である.また,その「西欧」での学習・体験の「箔付け」が彼(女)らをしてでかい面をさせている一つの大きな因子ともなっている....実は「われわれ日本人」という強烈な思い込みを持つ人たちが,何らかの事情によって「ガイジン」恐怖症に悩んだ海外生活体験者たちであるのは,「知」の世界では良く知られている.「防犯チェーン」をかけたまま開いたドアの,その全くわずかな隙間から「ガイコク」を観察し考察しなっとくし憎悪した,という体験を有する者たちだ.... こういう連中が自己救済のみをもとめて...「日本人論」「日本文化論」「日本文明論」を説く.

ちかいうちにピート・ハミルを読んでみようと思う.

エドゥアルド・スエンソン, 江戸幕末滞在記, 講談社学術文庫, 2003.

江戸幕末滞在記は、幕末に日本に滞在したデンマーク人の日記。若き海軍士官の見た日本というサブタイトルがつけられ、当時の日本の様子が26歳のデンマーク人の視点から描かれている。

本屋でたまたま筆者がデンマーク人であることを知って購入したと記憶しているが、訳者の長島要一氏の講演を聞く機会があり、改めて本棚から取り出して読み返してみた.

こんな人にこの本を薦めます

デンマークに住んでいる人、幕末の日本を訪問した外国人、幕末の日本に関心を持つ者ならば、是非読んでみてほしい。若い士官にも関わらず、重要な会見などに参加したスエンソンが、外交官としての視点ではなく、裏舞台の目撃者として、また一人の若者として、異文化である日本を描いているのが興味深い。政治的な舞台裏(慶喜との謁見)や海軍士官としての船や乗組員の描写も興味深いながら(日本の乗組員の優秀さや日本の戦艦や漁船等について)、日本の風俗習慣にも興味関心を示し、率直な感想を述べているのだ。しかも、野蛮な未開国日本といった一方的な西洋人的観点ではなく、職人の優秀さや日本人が忘れている風俗(混浴風呂が普通だったとか、家にいても障子などを開け放して着替えをしているとか。少なくとも私は知りませんでした)が描かれていて、批判と同時に評価も示している点が好感が持てる。100年で日本は大きく変化したから、その当時の感覚が現在の日本に残っているとは思いにくいが、開放的、純朴な日本国民が自分たちの祖先であったということが、非常にいとおしく思えるのだ。

ラーシュ・ケプレル, 契約, ハヤカワ・ミステリー文庫 (Paganinikontraktet, Lars kepler)

スウェーデンのミステリー作家ラーシュ・ケプレルの「催眠」に続く第二弾、「契約」.日本人の翻訳家によるもので,彼女の翻訳が好きなので,ちょっと読んでみようかと思いつきで上下巻を購入.

高橋絵里香, 青い光が見えたから, 講談社, 2007.

青い光が見えたから 16歳のフィンランド留学記は、フィンランド関連本を探していて見つけたもの。大学生、大学卒業生が、国に関心があったからフィンランド(北欧)に来た、というケースはちらほら耳にするが、さすがに16歳でフィンランドの高校に正規留学してしまったというのは、珍しい。近年注目の教育大国フィンランドの姿が、16歳のエリカの視点から語られているのが興味深い。

この本を薦める理由

教育の方法がこれほどまでに異ることで、子供の意識もまったく異なっていく状況がよく描かれている。私を含め、すべての日本人が日本の教育の弊害を感じていた訳ではないだろうが、そもそもの枠組みや教育の捉え方が、フィンランドと異なることは確かで、その対比が一人の学生の目を通して語られるのは、興味深い。日本に住んでいたら、こんな世界があるのか?と思ってしまいがちだろうが、デンマークに数年住んでいることで、その印象は変わっているようだ。フィンランドの(デンマークも)教育は非常に効率的で、だからこそ、うまく機能している。

「青い」イメージは抜けないものの、それでも補って余りある興味深い体験記。フィンランドや教育に関心のある人にはぜひとも手に取ってもらいたい。

タイトルの青い光。デンマークの田舎でも年に数回味わえるが、フィンランドの北の方では、もっと日常的に味わえるものなんだろう。