ドミニク・チェン, 未来をつくる言葉, 2020

ドミニクチェンさんの未来をつくる言葉、わかりあえなさをつなぐために。読み始めてすぐ、なんだか哲学的/詩的な言葉を紡ぐ人だなという感想が頭をよぎった。しばらくこの手の書き方の書籍を読んでなかったらしい。読後、混乱がありつつも、清々しい気持ちになれたのは、なぜなんだろう。多くの感想でも書かれているように、読後のこの暖かい気持ちはどこからくるんだろうか。

 読み進めるうちに、自分が自分の生まれ育った国でないデンマークという場所で生活することで、この15年もやもやと考えてきたことが言語化されていて、思考が整理されたような感覚になった。それが自分にとっては読後の爽快感の要因に思える。

情報技術へのアプローチからも多くの示唆を得た。サイバネティクスの歴史やマクルーハンの「メディア論」、AIとIntelligence Amprlifierの思想、エンゲルバードの人間の知性を拡張するためのIntelligenceという視点、今まで点で理解してきたことが、線で繋がった感覚だ。

話し相手に応じて異なる発想が生まれる人間や動物同士の相互作用においては、正確な情報伝達以外の側面がむしろ重要だ。ビットに換算したら全く同じ情報量のメッセージであったとしても、「わたし」と「あなた」ではその価値が異なるからだ。
 
同じ言葉で話していてればわかりあえると考えられがちだけれども、多言語の環境で生きることで、同じ日本語を話していても分かり合えないことがあることに気づく。同じことを話しているつもりでも、全く違う次元で話していたり、異なる考え方に基づいて話していたりする。そもそもの志向のベースが全く異なることもある。逆に、多言語で生活していても、深いコミュニケーションが取れることに気づくという感覚もある。実際のところ、言語が違うと、お互い分かり合えないということを前提にコミュニケーションをとるということができるから、よりわかりあえない点が表出されるのかもしれない。
 
「環世界」という言葉からは、自分が今まで感じていたけれども表現できてなかったことが、説明されていた。それぞれが自分の環世界をもち、「わたしたちは互いを完全にわかりあうことなどできない」という前提に立つことで、できることがいかに多いことか。それぞれが自律した個体であるということはなんて豊かなことなんだろう。それぞれがそれぞれの世界を持っていて、それが緩やかに繋がっている感覚は悪くない。
 
環世界:生物の身体ごとに備わる知覚の様式に応じて、異なる世界が認識され、構成されている。
 
本書からは、様々なキーワードをもらった。環世界予祝共話。。。他の著作も読みたくなった。