平野啓一郎. ある男. 文藝春秋. 2018

平野啓一郎氏のある男亡くなった夫が実は戸籍上の人物とは違ったという衝撃的な始まりから、本当の夫は誰だったのか?が少しずつ明かされていく。

弁護士の城戸章良、妻の香織、美涼。それぞれの人生や考え方が少しづつすれ違って行ってしまっているところとか、なんとなく相手の考えていることが納得いかなくなっていくところとか、夫婦の関係性の機微が丁寧に書かれていて、10数年の夫婦が読むのにちょうどいいのかもしれない。

本作品を読みながら、「愛に過去は必要か?」という本題らしい帯に描かれているテーマよりも気になったことがある。弁護士の城戸が、他人の過去を語っているうちに他人の人生を本当に生きている気になるという点や、他人と戸籍を交換したい人たちなどのことだ。「自分」ってなんだろうなと。

数十年生きてくると何度も変化が訪れるし、考え方も少しづつ変化していく。それこそ「私とは何か」で述べられているように、相手とのインタラクションで自分が出来上がるのであれば、「男」も環境の違う場所に降り立って新しい自分になれたんじゃないだろうかと思うわけだ。

p300: わかったってところからまた愛し直すんじゃないですか?一回愛したら終わりじゃなくて長い時間の間に何度も愛し直すでしょう。いろんなことが起きるから。

Herb Simonが蟻の例で述べていたように、行為は環境に影響される。環境を変えることで行為も変わる。

さらに多くの書評で批判的なコメントが多く目についた在日三世の設定について、私は感銘を受けたしとても良かったと思っている。血は韓国人かもしれないけれども生まれ育ちは日本であるがゆえに、そして他の在日に比べても問題なく生きてきたということで、なんとなく中途半端な感じがするという心情など、在日三世の心持ちが丁寧に書かれていて驚かされたりもした。

平野啓一郎氏のある男「私とは何か」、 マチネの終わりに(文庫版)に続き平野さんの書籍3冊目。ゆっくり本を読める時間が取れるのは嬉しい。

平野啓一郎公式サイト